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カスタマーレビュー
おすすめ度:
ミレーの世界
(2008-03-03)
アヒルの首はブッタ切っちゃうし,豚はバラしちゃうし・・・生きて行くための大切な命たち。この時代背景の農民は貧しくて他に生きる術がなくて,すべての命が重いです。それでも活き生きています。バッハの神聖な音楽が心に響きます。
20年ぶり
(2007-08-18)
まだ、学生だった頃、朝日新聞の映画評論で静かに賞賛されているので、気になり、観に行きました。長さを感じさせず、静かにぐいぐい引っ張られ、映画はすごいと感じたものです。賄い付きの下宿先のプロテスタントのあばさんにこの映画を紹介。観に行った彼女もひどく感動、そして感謝されました。「映画にキリストが宿った」、祈る事の大切さ、バッハの偉大さを彼女から解説されました。その後、81年、就職した横浜、関内の県民共済ビルのシアターで、休みを取ってまた観た事を今でもはっきり覚えています。NHKBSの録画もしたのですが、映像の質が悪く、購入しました。今見直しても、全く飽きません。買ってよかった。結局何回観ているのか?
内容は、静かですし、長いし、事件も少ない。スペククタル映画(死語か?)の対極のようなものですが、映画の歴史は、アミューズと社会性、芸術性の間を埋める様な作品によって、進歩してきたと思います。まじめな映画なのに、なんでこんなに引かれるのでしょう。それは、祈り、差別、結婚、農作業など日常生活が丁寧に描かれ、そして、作家の確信があるからだと思います。
蓮實評を理解するために本作を再見
(2007-04-01)
「複数であることはたえず素晴らしい。」というわけの分からない書き出しで始まる映画評があります。この映画について書かれた蓮實重彦の1979年の文章です(『映画 誘惑のエクリチュール』ちくま文庫所収)。
今回はこの映画評を理解するためにこの映画を久々に観る、という本末転倒な試みをしてみました。初公開時に観たときのことは、ただじんわりと感動したことしか覚えておらず、もっと深く理解したいと思ったのです。
この映画では4家族のそれぞれのエピソードが淡々と描かれています。特に誰が主人公というわけではなく、タイトルとなっている木靴の挿話もこれが中心であるわけではなく、アンセルモ爺さんの早生トマトやフィナールの金貨紛失事件と同列に描かれています。
でも、単に登場人物が多くそれぞれが平等に描かれるだけでは「複数的」とは言えない、単に「単数の累積」であると蓮實氏は言います。それぞれの挿話は「人目を避けて秘密をまさぐるという共通の姿勢」という「主題論的な統一」をもっているがゆえに複数的であると言うのです。そして、「…河舟での小旅行が、主題論的にいって木靴の気の反復という複数的な体験であることは誰の目にも明らかだ。それは早熟なトマトにも蹄の中に隠された金貨をも反復しながら孤立と連帯の戯れを無性に駆りたててゆく。『木靴の樹』の素晴らしさは、この徹底して複数的な戯れの中にある。」と絶賛します。
それぞれの挿話が「隠すこと」を共有している点など、確かに蓮實評は鋭いですし、「複数」「単数」という概念も説話の構成分析としてとても興味深いものです。ただ、初見のときのじんわりとした感動は、このようなやや構成技法的なものから生まれたのかというと、少々疑問です。説話の構成+風景やリズム、言葉少なな人物たちといった要素の役割をも語るべきものなのではないかと感じます。
木靴の樹−真の傑作
(2006-07-17)
この映画を観たのは確か大学5年の時(その時のパンフレットに挟まれた切符の半券から微かに55年と読みとれる)、まず映像の優しさ自然さに驚いた。聞くところによると、人工照明を排し、自然光を使っているとのこと。さらに驚いたのは、登場人物はほとんどその土地の農民たち。この北伊ロンバルディア地方の小作農民の何の変哲もない日常が描かれているのだが、そのリアリズムの圧倒的な存在感、説得力とでも言うのだろうか。オルミ監督は何から何まで自分でやる人で、正に商業主義の対局にいる人。飾らない農民の生活を通じて、人間の根元的な生き様を見せてくれます。現代における奇蹟のような映画です。この映画に出会えた人は幸福です。故荻昌弘氏は「真正の傑作であって、まだこのような映画が存在したのか」と述べています。
「木靴の樹」。とは、とても素敵な題名をつけたものです
(2006-04-28)
中盤、ミネク(男の子)が木靴を割ってしまったあたりから、お父さんの家族を思う心情や地主制のもとで働く農民たちの哀しさが、物語を切なく展開させていき、ラストの叙情的な旅立ちまで一気に見せてくれる。3時間を越える大作だが、映像の美しさと素人俳優のまっすぐな眼差しと物腰に、見ているこちらが励まされているような気持ちになってくる。新婚夫婦が旅先で赤ん坊をもらうところのエピソードは秀逸。人間とはなんて大きな愛を持ちえるんだろう!と感動してしまった。
幸いにも、公開当時映画館で見ることができた。観客がみんな善人に思えて、映画館の雰囲気がとてもよかったのを記憶している。
おすすめ度:
ミレーの世界
アヒルの首はブッタ切っちゃうし,豚はバラしちゃうし・・・生きて行くための大切な命たち。この時代背景の農民は貧しくて他に生きる術がなくて,すべての命が重いです。それでも活き生きています。バッハの神聖な音楽が心に響きます。
20年ぶり
まだ、学生だった頃、朝日新聞の映画評論で静かに賞賛されているので、気になり、観に行きました。長さを感じさせず、静かにぐいぐい引っ張られ、映画はすごいと感じたものです。賄い付きの下宿先のプロテスタントのあばさんにこの映画を紹介。観に行った彼女もひどく感動、そして感謝されました。「映画にキリストが宿った」、祈る事の大切さ、バッハの偉大さを彼女から解説されました。その後、81年、就職した横浜、関内の県民共済ビルのシアターで、休みを取ってまた観た事を今でもはっきり覚えています。NHKBSの録画もしたのですが、映像の質が悪く、購入しました。今見直しても、全く飽きません。買ってよかった。結局何回観ているのか?
内容は、静かですし、長いし、事件も少ない。スペククタル映画(死語か?)の対極のようなものですが、映画の歴史は、アミューズと社会性、芸術性の間を埋める様な作品によって、進歩してきたと思います。まじめな映画なのに、なんでこんなに引かれるのでしょう。それは、祈り、差別、結婚、農作業など日常生活が丁寧に描かれ、そして、作家の確信があるからだと思います。
蓮實評を理解するために本作を再見
「複数であることはたえず素晴らしい。」というわけの分からない書き出しで始まる映画評があります。この映画について書かれた蓮實重彦の1979年の文章です(『映画 誘惑のエクリチュール』ちくま文庫所収)。
今回はこの映画評を理解するためにこの映画を久々に観る、という本末転倒な試みをしてみました。初公開時に観たときのことは、ただじんわりと感動したことしか覚えておらず、もっと深く理解したいと思ったのです。
この映画では4家族のそれぞれのエピソードが淡々と描かれています。特に誰が主人公というわけではなく、タイトルとなっている木靴の挿話もこれが中心であるわけではなく、アンセルモ爺さんの早生トマトやフィナールの金貨紛失事件と同列に描かれています。
でも、単に登場人物が多くそれぞれが平等に描かれるだけでは「複数的」とは言えない、単に「単数の累積」であると蓮實氏は言います。それぞれの挿話は「人目を避けて秘密をまさぐるという共通の姿勢」という「主題論的な統一」をもっているがゆえに複数的であると言うのです。そして、「…河舟での小旅行が、主題論的にいって木靴の気の反復という複数的な体験であることは誰の目にも明らかだ。それは早熟なトマトにも蹄の中に隠された金貨をも反復しながら孤立と連帯の戯れを無性に駆りたててゆく。『木靴の樹』の素晴らしさは、この徹底して複数的な戯れの中にある。」と絶賛します。
それぞれの挿話が「隠すこと」を共有している点など、確かに蓮實評は鋭いですし、「複数」「単数」という概念も説話の構成分析としてとても興味深いものです。ただ、初見のときのじんわりとした感動は、このようなやや構成技法的なものから生まれたのかというと、少々疑問です。説話の構成+風景やリズム、言葉少なな人物たちといった要素の役割をも語るべきものなのではないかと感じます。
木靴の樹−真の傑作
この映画を観たのは確か大学5年の時(その時のパンフレットに挟まれた切符の半券から微かに55年と読みとれる)、まず映像の優しさ自然さに驚いた。聞くところによると、人工照明を排し、自然光を使っているとのこと。さらに驚いたのは、登場人物はほとんどその土地の農民たち。この北伊ロンバルディア地方の小作農民の何の変哲もない日常が描かれているのだが、そのリアリズムの圧倒的な存在感、説得力とでも言うのだろうか。オルミ監督は何から何まで自分でやる人で、正に商業主義の対局にいる人。飾らない農民の生活を通じて、人間の根元的な生き様を見せてくれます。現代における奇蹟のような映画です。この映画に出会えた人は幸福です。故荻昌弘氏は「真正の傑作であって、まだこのような映画が存在したのか」と述べています。
「木靴の樹」。とは、とても素敵な題名をつけたものです
中盤、ミネク(男の子)が木靴を割ってしまったあたりから、お父さんの家族を思う心情や地主制のもとで働く農民たちの哀しさが、物語を切なく展開させていき、ラストの叙情的な旅立ちまで一気に見せてくれる。3時間を越える大作だが、映像の美しさと素人俳優のまっすぐな眼差しと物腰に、見ているこちらが励まされているような気持ちになってくる。新婚夫婦が旅先で赤ん坊をもらうところのエピソードは秀逸。人間とはなんて大きな愛を持ちえるんだろう!と感動してしまった。
幸いにも、公開当時映画館で見ることができた。観客がみんな善人に思えて、映画館の雰囲気がとてもよかったのを記憶している。
